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disprove :「誤りであることを証明する」普通動詞に接頭辞disが付くと動詞はapart / away (分離)やnotの意味を帯びます。たとえば、disagreeはお互いの意見が離れている(apart)から「同意しない」となり、disobeyは「従わない」distrustは「信用しない」となります。ですから、disproveは「証明しない」となりそうですが、「間違いを証明する」という意味なので間違いそうな動詞のひとつです。dis=notだからdis+prove=not+prove,つまり「証明しない。もしくは証明できない」と考えがちですが、「間違っていると証明する」to prove that something is not true (Cambridge)というのがdisproveの意味です。ここでのdis-には思い切って「失敗」とか「間違い」の意味にとって、失敗、間違いを証明するという風に考えても面白いと個人的には思っているのですが……。Various experiments have failed to disprove the theory. (さまざまな実験がその理論が誤りであることを証明できなかった) Human beings can neither prove nor disprove God’s existence. (人類は神の存在を証明することも反証することもできない)
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It's essential to be able to communicate with the performers. (演奏者とコミュニケーションできることが不可欠です)(浜島書店) のように不定詞が続く場合は形式主語itを受けているわけですからessential to 不定詞となります。さらにIt's essential for the papers to be ready today. (レポートは今日中に準備が出来ていることが絶対必要です) (Tanaka Corpus)となると意味上の主語が付いていますから、essential for~to doの形になります。紛らわしいのは、たとえば、Food is essential to [for] life.というような場合です。たいていの英和にはbe essential to / for~としてあり、to とforの使い方の違いは説明されていません。Good water is essential to good sake.(よい日本酒にはよい水が不可欠だ) この文からだけではなんとも言えませんが、toは到達点ですから、よい日本酒を作るのが到達点だと考えればいいのかもしれません。そのためによい水は不可欠だというわけでしょう。Two types of mould are essential for brewing sake.(日本酒を造るには2つの菌が重要な役割を果たします)この訳文にあるように、forは役割、働き、などを指すように思えます。Food is essential to life.は人生の到達点を意識しているのではないでしょうか。幸福とか豊かさとかあるいは健康とか。そのような人生を送るにはfoodが不可欠だと。Food is essential for lifeであれば、暮らしにとって食べ物は大切な役割を果しているというのでしょう。とはいえ、なにか釈然としないものが残りますが……。
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I couldn’t care less 「まったく気にしない」直訳するとthan以下がないので「今より」とか「そのときより」などを補えば分かりやすいと思います。notはcare less (今より少なく気にする) を否定しますので、「今より以上に少なく気にすることはできない(ほど気にしていない)」となります。つまり「全く気にしない」ということです。couldは仮定法で、もし気にすることがあっても、と補って考えればいいでしょう。ちなみにto not care at allとCambridgeにはありました。I couldn't care less if he doesn't want to talk to me. (彼がぼくと話したくないとしてもまったく気にしないよ)(Cambridge) 学生の頃「俺の知ったことか」と訳してあるのを目にして、うまい訳だなと思ったことを覚えています。なお、couldn’t+比較級の形でよく耳にするのに、(I) couldn’t be better.(「今より(それより)よくならないくらいによい」→「最高だ」)があります。”Where do you want to go?” “ I couldn’t care less. I just want to leave the train right now.” (「どこに行きたい?」「どこでもいいわ。ただ今すぐ列車を降りたいだけ」)
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cut back on~ 「~を削減する。縮小する」to spend less, do less, or use less of somethingとCambridgeにはあります。この成句に登場するbackはhold back the laughter (笑いをこらえる) などに使われる「抑えて」という意味の副詞ではないかと思います。構造はきれいな動詞+副詞+前置詞のコンビネーションです。Cambridgeにもあるように「少なく使う」つまり「使うのを控える」「削減する」といったニュアンスで捉えればいいと思います。同意表現に cut down onがありますが、cut back onの方が普通に使われるそうです。また、cut down onよりも冷静な判断をするニュアンスがあるとのこと。cut outは完全に枝葉を切り落とすことですが、cut backは枝葉を減らすとイメージしてもいいでしょう。The record label Hyperion is now drastically cutting back on new projects to pay royalties. (レコード会社のハイペリオンは特許使用料を払うために、現在新しいプロジェクトを大幅に縮小している)(CNN) We really need to cut back on our spending until the coronavirus goes away. (私たちはコロナが終息するまで本当に出費を抑えなければならない) In doing so, the bees are able to progressively cut bac on energy use. (このようにして、蜂は段階的にエネルギー消費を抑えることが可能になる)
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hale and hearty 「老人がぴんぴんしている」「かくしゃくとしている」Cambridgeには (especially of old people) healthy and strongとありました。お年寄りに使うと考えればいいと思われます。haleはhealthyと関係のある語で、病気がひとつもなく元気だといった意味。heartyも同じような意味で、活発に活動しているといった意味です。おそらく [h] の音でそろえて成句にしたのだろうと思われます。いわゆる言語学でいうところの alliteration (頭韻)です。He is hale and hearty for his age. He is working from home today. (彼は老人のわりにはぴんぴんしている。今日もリモートワークをしている). Her grandfather was hale and hearty, walking five miles each day before breakfast.(彼女の祖父はかくしゃくとしている。毎日朝食まえには8キロぐらい歩いているよ)(Cambridge)
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in the same vein :「同じようなやり方[調子・感じ]で」英英にはin the same style of speaking or writingとありますから、話し方とか書き方などが同じ様子だといった場合に使われることが多いと考えればいいでしょう。veinは「血管」という意味ですが、感情も流れるものということから、「気持ち」とか「気分」とか「雰囲気」のニュアンスを含むようになり、さらにそれが「話し方」や「言葉づかい」などの意味に発展していったのかもしれません。いずれにせよ、veinという語が強烈な印象を与えます。 He spoke to the professor in the same vein even after he argued with him over the problem.(その問題に関して口論をした後でも、彼は今までと同じ調子で教授に話しかけた)アメリカ留学中にこういう光景をよく目にして文化の違いを実感させられたものです。意見の相違があるのはあたりまえだ、という社会はやはり成熟した社会だと思います。一方、意見の対立が感情の対立を生むという社会はいつまでたっても未熟なままではないでしょうか。
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be satisfied with 「~に満足している」欲望や欲求が十分に満たされているのがsatisfyです。satisfyの名詞形のsatisfactionをCambridgeで引いてみるとa pleasant feeling that you get when you receive something you wanted, or when you have done something you wanted to do と定義してありました。欲しいものが手に入ったとか、やりたいことが出来たときの満足感や喜びがsatisfactionというわけです。ということは、微妙な言い方をすれば、完璧に満足しているわけではなく、必要なことを十分満たしているので満足している、というのがsatisfactionのニュアンスと考えることもできます。たとえば、喉がからっからに渇いているときに水が手に入ったようなとき、どんな水であっても美味しいと感じるでしょう。それがsatisfactionなのだと説明してくれたALTがいました。I am satisfied with my life. (私は自分の人生に満足している) 前置詞withは「満足・不満足」といわれるwithですが、「積極性」を表すときに出てくることがありまから、「私」は人生を前向きにとらえているわけです。I was satisfied to know how happy my daughter is. (私は娘がとても幸せだと知って満足だった) この文のように不定詞がつづくこともあります。一方、contentには必ずしもhappyやsatisfactionの意味合いは含まれません。Cambridgeにはpleased with your situation and not hoping for change or improvementとあります。satisfyを積極的な満足、contentを消極的な満足、と分析していた文献もありましたが、Cambridgeにあるように、contentは変化を望まず、現状に満足していることと捉えればいいのではないでしょうか。不平を言わない程度に満足しているといったニュアンスで。She is content with very little. (彼女はごくわずかなもので満足している) ところで、この二つの成句はなぜか森鴎外の『高瀬舟』に登場する喜助と庄兵衞を思い出させます。一世紀以上も前に今まさに問題になっている自殺ほう助を作品にするなんて卓識の作家ですね、鴎外って。弟の咽喉から剃刀を抜くという凄惨な場面を坦々と描写する鴎外の筆力には不気味な怖さを覚えますが、医者でなければあんな風にハードボイルドタッチで描くなんてとてもできないと思います。一方、日々の暮らしにあくせくしている小役人(現代風にいえば地方公務員といったところ) の庄兵衞はなぜかcontentを感じさせます。