今年の五月にオバマ大統領が広島を訪れました。画期的な出来事だったと思います。訪問の目的は、戦争によってもたらされた心の傷をいやすため、to heal lingering wounds from devastating act of war…と記事にはありました。ここでは比ゆ的にhealを使っていますが、通常、healは傷を治す意味で使われます。「そのお医者さんが私の傷を治したんだ」という場合、The doctor healed my wound.となります。これをcure A of Bなどのように、The doctor healed me of my wound のような言い方をしません。かうて、そのことをALTに訊ねたことがありましたが、小首を傾げるだけで要領を得た説明はついに聞けませんでした。そんなこともあって、healはhealthと繋がりのある語なので、病気を取り除くというよりも、健康な状態に戻す、ということに重点があって、分離を表すofとは馴染まないのだろう、と勝手に解釈しています。

 ところで、ハイル、ヒットラーのハイル(heil) はheal なのだそうです。「ヒットラーよ、この国を素晴らしい国になるように根本的に治療してくれ」というのが「ハイル、ヒットラー」ということらしい。その「ハイル」が「ホロコースト」にまでいってしまった。少々大袈裟に言えば、healあるいはheilという語にはなんの罪もないけれど、ヒットラーによって、あるいは「ハイル、ヒットラー」によってこの語はファシズムとかホロコーストとか独裁者といった汚名を着せられてしまった、とも言えそうです。しかし、アウシュビッツにはコルベ神父のような聖者もいらしたわけで、たくさんの人々が彼の愛に触れて癒された(healed by his love)――そして今もなお癒されている――ことでしょう。事ほど左様に、言葉は人間の都合次第で、あるいはそのときどきのベクトルの向き次第でさまざまな色に変えられてしまう。だからこそ、言葉本来の意味を大切にしなければならないと思うのです。