I would be happy to fill your shoes.は「あなたの後任になれたらうれしいです」といった感じです。このfill one’s shoes は「ひとの靴を満たす」つまり「ひとの靴に自分の足を入れる」という意味ですが、転じて「ひとの後任となる」「ひとの後を継ぐ」といった意味で使われます。なぜshoesなのかと知り合いのネイティブに訊ねたところ、どうもshoesは単に靴という意味ではなく、そのひとの役割、社会的地位などを象徴するものという意味合があるようです。かつては、(そして今も)靴職人はサイズの微妙に異なる一人ひとりの客の足に合わせて靴をつくっていたわけですから、そのような意味に発展していったのでしょう。チャップリンの映画に主人公が空腹のあまり自分の革靴をフォークとナイフで食べるというシーンがありますが、あんなにぼろぼろになった貧しい浮浪者の靴を履きたいなどと思うひとはまずいないでしょう。日本はもともと草履と下駄の文化ですから、履物がひとの地位なりランクなりと密接に結びつくことはないような気がします。ですから、to fill a person’s shoesは日本人にはなじめない成句のひとつではないかと思います。なお、fillという動詞はぴったり足に合わせるという感じで捉えればいいのでしょうが、足のサイズは年齢や体重の増減やむくみなんかで変化するでしょうから、それに合わせて職人は靴をつくるわけでしょう。地位も上がったり下がったりしますから、fillなんですね、たぶん。ともあれ、そこにもindividualではなく、personの文化を感じます。person (他者と交換できない唯一の存在としてのひと) の文化が日本の津々浦々にまで浸透すれば、日本はもっと安全で住みやすい (あるいは住みたい) 国になるでしょうが……。Nobody could ever fill your shoes, Dad. (うちのお父さんは世界一だよ)(Reverso)