このところソーシャル・ディスタンスという語を耳にするたびに、いささか違和感を覚えます。コロナ感染予防のために人と人との距離をとって「密」を避けましょうということでしょうが、それだったらdistancingspaceかplaceじゃないかな、と思うのです。というのは、distanceという語は物理的な距離と同時に心理的な距離も含むからです。昔Keep Distance(すみません、作者名を忘れてしまいました)というタイトルの小説を読んだことがありますが、若い男女が成長するにつれて、パッションが薄れて行き、次第にお互いの気持ちが遠のいていくーーというかほどよい大人の距離を模索していくというような小説でした。

 CDC (Centers for Disease Control and Prevention)”social distancing”と題して、次のように説明しています。

Social distancing, also called “physical distancing,” means keeping space between yourself and other people outside of your home. To practice social or physical distancing:

Stay at least 6 feet (about 2 arms’ length) from other people

Do not gather in groups

Stay out of crowded places and avoid mass gatherings

やはり、distanceではなく、spaceあるいはdistancingという語を使っています。いわゆる-ing形はmorningとかeveningなどのように「結果」に重点があります。夜があけた結果がmorningになり、太陽が沈んだ結果がeveningになるというわけです。これと同様に物理的な距離(ここではおよそ2メートルの間隔が必要という結果)にしか「結果」はないので、distancingとなると考えればいいのではないでしょうか。心理的な距離に結果があっては人間の心は、たとえば氷のように固定してしまいますから、social distanceではお互いに冷たく顔をそむけるか、眉間に皺を寄せて苦々しく睨み合うか、我関せずと無関心でいるか、ともかく心の動きが出てきます。

 コンビニに行っても、生協に行っても、人との間隔をあけるために、レジの前の床には等間隔にテープが貼ってあります。近所を散歩していても、マスクをしていないと、あからさまに避けるように距離をとろうとします。

「春雨やものがたりゆく蓑と傘」という蕪村の句がありますが、江戸期のように蓑と傘がよりそうように歩ける日はいつ来るのでしょうか。