plowは「畑を耕す」とか「掘り起こす」とか、あるいは「除雪をする」といった意味で使われますが、前置詞intoを伴ってplow intoとなると「衝突する」という意味になります。英英には、To crash into something with great force.とありました。畑を耕すのは土の下に鋤をもぐりこませます。同じように衝突する場合も前にある障害物にもぐりこむのでintoなのでしょうか。The truck plowed into a parked car. (そのトラックは駐車している車にぶつかった)  Prosecutors say the man who plowed into that limo was flat-out drunk. (検察側によると、リムジンに突っ込んだ男性は泥酔していたということです) ところで、この句はもうひとつの意味――「真剣に取り組む」「元気よく取り組む」といったニュアンスの意味を持っています。He has been plowing into his homework.というと「彼はずっと真剣に宿題に取り組んでいる」といった感じでしょう。核分裂を例に出すまでもなく、物と物がwith great forceで衝突すると物凄いエネルギーが放出されます。何かに取り組むという場合も内側からエネルギーが放出されていると考えれば「衝突する」と「取り組む」という二つの意味が繋がっていく気がします。

たとえば、「10年のスパンで考えよう」などと私たちは言いますが、この場合、10年という幅といった意味合いで私たちは「スパン」という語を使っていると思います。つまり「スパン」という日本語は「広がる」あるいは「及ぶ」時間の意味で使っている。ところが、英語のspanの意味領域は時間の広がりだけでなく場所の広がりにも使われます。somewhere down the road でも触れましたが、このspanも時空が重なっていると考えられそうです。かつてspanについて訊ねたとき、橋をイメージすればいいですよとイギリス人のALTに教わったことを思い出します。彼によると、ある時点(あるいは地点)から別の時点(あるいは地点)までずっと広がる、あるいは長い橋のようにずっと続いているというのがspanのイメージなのだそうです。The empire once spanned several continents. (その帝国はかつていくつかの国に広がっていた) His career as a singer spanned three decades. (彼の歌手としてのキャリアは三十年に及んだ)

result from & result in :  result fromは「~の結果として生じる」つまり、結果としてもたらされるという受け身の意味合いになります。The success resulted from your efforts.(その成功は君の努力の成果だ)(西南学院大)この文の場合、成功は努力によってもたらされたわけです。したがって、bring aboutを使って書き換えると、The success was brought about by your efforts.と受け身になります。これに対してresult inは「~という結果になる」という意味で、能動の意味合いになります。Our efforts did not result in success. (私たちの努力は成功という成果には至らなかった)(東大)この場合、端的にいえば、結局努力が実を結ばなかったわけです。これは、Our efforts did not bring about success.と能動で書き換えることができます。なお、from は come fromのfrom、inはfall in loveやdie in poverty (貧困のうちに死ぬ)の inで「~に(と)なって」という状態を示していると捉えればいいのではないでしょうか。The driver’s carelessness resulted in the death of a pedestrian. (運転手の不注意で通行人がひとりなくなった) 高齢者のドライバーによる悲惨な事故が続いて起きています。「そろそろ潮時なんじゃないか」とお互い気楽に声をかけ合える高齢者のコミュニティ―が必要なんじゃないかなと個人的には感じています。Racism often results from a profound fear of the unknown things. (人種差別はしばしば心の奥底にある未知なるものへの恐怖から生じるものだ)

sophisticated というと「洗練された」という意味が第一に浮かびます。たとえば、a sophisticated manというと立居振舞というかマナーが洗練されているひとを指したりしますが、それだけではなく、身につけているハンカチとか時計といった小物の趣味もいいといった感じです。さらに、この形容詞が物を修飾すると「(機械などが)複雑な、精巧な」という意味になります。a sophisticated computerというと、「精巧なコンピューター」といった感じでしょう。どちらにしても、多くのものを含むという点が共通していると考えれば理解しやすいのではないかと思います。人間であれば、いろいろ多くの洗練された物――知識や知恵や教養も含めて――を身に着けている感じだし、品物であれば、そこに多くの装置とか機能が含まれていると捉えればいいわけです。Japanese-made watches and clocks are sophisticated and durable. (日本製の時計は、精巧で長持ちします) Cozmo is one of the most sophisticated personal robots sold to consumers yet. (コズモはこれまで消費者向けに販売された個人用ロボットの中でも、最高の性能を持つものの一つです)

look into ~は  look overと同じく「~を調べる」という意味ですが、look over は新聞とか書類とか最初から終わりまで一つ一つくまなく見る感じだそうです。You must look over the contract before you sign it. (あなたは契約にサインする前にそれを調べなければならない)(中央大)この場合、契約書にくまなく目を通さなければならないといっているわけです。一方、look intoは「中をのぞく」という意味合いから「詳しく調べる」という風に発展したのでしょう。The police are looking into the past records of the entire suspect. (警察はすべての容疑者の過去の記録を詳しく調べている)(早大)この場合、関係のある資料とか手掛かりになりそうな過去の記録を詳しく調べているというのでしょう。辞書を片手に語句の意味を調べたりして本を読むのはlook intoの感じがします。寝っ転がって新聞の記事に一つ一つ目を通すのはlook overでしょうか。有名なJohn Keatsの作品にOn First Looking into Chapman’s Homerという詩がありますが、憧れのホメロスの作品をKeatsはチャップマンの翻訳で一字一句丁寧に読んだはずです。Nobody has looked into the proper contracts. (誰も本物の契約書を検証していない)

somewhere down the road「将来」という意味で使われます。somewhereは明らかに場所を示す語です。それがなぜin the futureのような時間を表す語に使われるのか訊ねたところ、道を時間と考えてその道(時間)のある場所(時)でという意味から「これから先」という意味で用いられるのだ、ということでした。英語は時空を一括りで捉える言語だとつくづく思わされる成句のひとつです。He'll get into trouble somewhere down the road. (彼は将来ごたごたを起こすだろう) Somewhere down the road, we will meet again. (またいつか再び会えるでしょう) なお副詞のdownは自分から遠ざかるときに使われますが、この場合も未来へ向って離れていくといったイメージで捉えればいいのではないかと思います。

I am happy as long as my family is happy. (家族さえ幸せなら、ぼくは幸せだ) この場合「ぼくが幸せである」ためには、「家族が幸せ」でなければならないというわけです。自分の幸せの条件は家族の幸せにあると言い換えてもいいでしょう。このas long as S+Vの構文はas far as S+Vと混同されがちで、紛らわしいですが、簡単にいえば、as far as S+Vが「範囲」であるのに対してas long as S+Vは「条件」と捉えればいいと思います。longは時間の長さや空間的長さが平均よりも長いことを意味します。そこで、as far asが限度を絞り込むのと同じように、as long asも耐えられる限度を絞り込む感じがします。上の文でいえば、家族が幸せでないことは「限界」である、つまり耐えられないことだというわけです。You may eat anything so long as you don't eat too much. (食べすぎさえしなければ何を食べてもいいよ) 「食べ過ぎない」という条件の範囲を越えてしまえば(この超えるニュアンスがlongなのでしょう)、つまり食べる限度の範囲がlongになれば、何を食べてもいいというわけにはいかないよ、というのでしょう。