go under は 「事業などが失敗する」「会社が倒産する」という風な意味で使われることがあります。collapseと同じような感じです。ここでのunderはundergroundのイメージで捉えればいいのかもしれません。underを地下と考えれば、「地下に行く」つまり「死ぬ」というイメージが浮かんできますから。According to state-run media more than 50 percent have gone under, most of them small operations. (国営メディアによると、50%以上が倒産し、そのほとんどが小規模企業だということだ)(CNN)

イミテーションというと、日本語では「偽物」「模造品」という意味で使われますが (たとえばimitation diamond 「模造ダイヤ」のような意味で) imitationには「ひとの真似をすること」という意味もあります。「偽物」と「人まね」ではおおいに違う感じがしますが、「まねる」という意味のimitateから名詞になったのがimitationですから、物の真似をすれば「偽造」「模造」だし、人の真似をすれば「物まね」になるわけです。名詞の意味がかけ離れているように感じた場合には、動詞に戻って考えてみると意外と理解しやすいかもしれません。At the party last night, Peter did a fantastic imitation of a movie star with the sunglasses and everything. (昨夜のパーティで、ピーターはある映画俳優の物まねをした。サングラスやら何やら身につけて)

「水泡に帰す」は英語ではgo up in smokeと「煙」になります。燃えて煙になって消えてしまう、というイメージなのでしょう。もっとも「灰燼に帰す」という日本語もありますから、あながちsmoke (煙)と無縁ではなさそうです。 His business went bankrupt, and 10 years of hard work went up in smoke. (彼の会社は倒産してしまい、10年におよぶ激務も無駄に終わった) このように努力したのに無駄に終わったといった感じです。 When the economic bubble burst, their plans to build many schools went up in smoke. (バブル経済がはじけたとき、たくさん学校を作ろうという彼らの計画は水の泡となった) 煙といえば、徒然草に「鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つるならいならば、いかにもののあわれもなからん」と煙が出てきます。一方、水といえば、方丈記に「ゆく河の流れはたえずして、しかももとの水にあらず」とあって、どうも「水」や「煙」は日本語では無常観と関係が深いようです。この成句go up in smokeにも無常観に似たものを感じるかとALTに訊ねたところ、無駄になったというだけの意味しかない、ということでした。無常観というと、どんなイメージでとらえていますか、と重ねて訊ねたら、life is shortという返事でした。それを聞いて、英語はどこまでも人生に対してポジティブな言語だと思いました。たとえば、Viktor Franklの言葉、"Say yes to your life in spite of everything"を直訳して解った気になるのは簡単ですが、この名言が引きずっている文化を踏まえて訳すとなると容易ではないですね。

goods は「グッズ」と日本語になっていますが、常に複数形で使われます。「商品」と訳されますが、消費者あるいは買う側から見た「商品」「製品」と捉えればいいようです。語尾のsは複数形ではないという説もあるそうですが、良い品物 (good things) から転じたので複数形で用いられるのだろう、というのがおおかたのALTの解釈でした。良い品物しか消費者は買わないわけで、そこから「商品」の意味になったのかもしれません。The company is an importer of luxury goods from Europe. (その会社はヨーロッパから高級品を輸入している) なお、売る側とか生産する側の立場から見た場合はproductを使うようです。

「5引く1は4」はFive minus one is four.と言います。日本語で「引く」というからminusは動詞ではないかと思いがちですが、実は前置詞です。直訳すると「1を引いた5は4だ」というわけです。問題はfiveもfourも複数ですから、述語動詞はareになりそうですが、isとなるという点です。計算などで扱う(紙の上での)数は具体的な数ではなく、いわば抽象化された数ですから、単数扱いになると考えればいいでしょう。Six times two makes twelve. (6x2=12)やSix divided by two equals three. (6÷2=3) のように掛け算や割り算でも三人称単数扱いになって、makesとかequalsとなります。扱う数が具体的なものではないからでしょう。一桁とか二桁とか日常扱う数は大変ではないでしょうが、たとえば十億本の鉛筆に百万本のペンを加える場合、実際に一つ一つ鉛筆とペンを最後まで数えるなんて誰もしないでしょう。紙の上で計算するはずです。それは数が抽象的な概念として存在できるからです。計算は単純に抽象だと捉えればなぜ三人称単数扱いになるのか理解しやすいのではないでしょうか。

Hold your horses! You have to listen to me carefully. というと、「ちょっと待って。ぼくの話をよく聞いて」といった感じです。hold your horsesは直訳すると「あなたの馬を動かないように押さえろ」となりますが、「言いたいこと」「やりたいこと」を押さえなさい、ということから「ちょっと待って」という意味で使われます。かつて馬車は二頭もしくはそれ以上の馬で牽いたことからhorsesと複数形で用いられるようです。もっとも、一頭立ての馬車を交通手段としているアーミッシュの人たちもいますが……。

gone are the days when…は 「……は遠い昔になってしまった」と昔を振り返る表現として出てきます。文法的にはThe days are gone when…となりそうですが、そうは言わないそうです。これで決まった表現とのこと。恐らくthe days are gone(その時代は行ってしまった)が倒置して、先行詞the daysと関係副詞whenを並置しようとしたためにこのような言い方になったのだろうと推測できますが、確かなことは分かりません。なお、dayが複数(days)になるとtimesと同じように時代を表します。たとえば、「古き良き時代」を the good old days (英語では「良き古き」と新旧形容詞oldが後に来ます)と言ったりします。Well, gone are the days when Japanese companies guaranteed lifetime employment. (さて、日本の企業が終身雇用を保障していたのは遠い昔のことです)