So-so  「いまいち」という訳語がいいのではないかと思います。「まずまずだった」とか「まあまあよかった」といったポジティブなニュアンスはないからです。Cambridgeにはbetween average quality and low qualityとありますから、どちらかといえば、そんなによくなかった、というネガテイブな意味合いで使えばいいと思います。「まあまあ」という言い方は言挙げを嫌う日本人が好む言い方ですから、私たちはついso-soと口に出してしまいますが、ニュアンスはネガティブだということを頭の隅においておくべきでしょう。 "How was your date with Mariko last night?" "So-so. It seems she talked about her ex-boyfriend." (「昨晩のマリコとのデートはどうだった?」「まあまあかな。彼女は昔のボーイフレンドの話をしていたようだったけど」) デートは「いまいち」だったわけです。ところで、「言挙げ」はいわば自己主張することですが、自己主張は神のみに認められたものだから人間は慎まなければならない、という言霊信仰と深く繋がっている概念です。言葉には呪力があると私たち日本人は信じている――信じていた――のです。ところが、デモクラシーの時代、自己主張は言論の自由の基礎ですから、おおいに「言挙げ」してよろしい時代になったのですが、自分(たち)だけの利益のための「言挙げ」つまり自己主張はデモクラシーとはほど遠いものです。democracyのdemoはselfではなく、自分も含めたpeopleですから。秋津島大和の国は神からと言挙げせぬ国 然れども我は言挙げす」という万葉の歌がありますが、この国は言挙げせぬ国だけれど、この恋する思いはあまりに苦しので言挙げしよう、つまりこの胸の思いを伝えよう、といった感じでしょうか。万葉びとはたぶん神々とともに暮らしていたのでしょう。